日本シングルマザー支援協会は、シングルマザーの自立支援に特化した活動を続けています。自立支援に特化とは? 世帯主として、経済的、精神的自立へと歩むための支援です。
自分自身が、市役所に相談に行った時に、「お子さん大勢いるし、まだ小さい子もいるから、生活保護を受けたら?」と言われた経験があります。
相談に行ったのは、困っているからですが、守ってもらいたかったのではなく、自立の方法を教えてもらいたかった、ただそれだけだったのに、その答えは市役所にはないことを体感した経験となりました。
とは言いながらも、児童扶養手当など、ひとり親としてはたくさん守ってもらってきました。守ってもらえることがあるのは、感謝以外の何物でもないです。
小さい子どもがいることで、どんなに働く意欲があっても、生産性高く働くことは難しく、子育てと仕事の両立をする中で、精神的余裕も簡単には生れない。
もっと稼ぎたくても、保育園の時間内の仕事しかできず、インフルエンザになれば休まなければならない。休むと言うことで気持ちが沈んでいる中で、他の子どもが数日後に感染してしまい、また休む日が増えてしまう。
この繰り返しの中で、悪いことは何もしていないが、謝ることが増え、謝る数だけ、自信を失っていく。
子どもが二人くらいでも、この時期は5,6年続くことになり、年齢も重ねていくことで、母親は更に自信を失い、それが無意識の中、社会への恐怖心へと育っていく。
私は子どもが5人いたこともあり、保育園には16年通った。今考えても長い。
しかし、いつまでも大変な訳ではない、というよりは、大変なことが変化していきます。末っ子が小学校に上がると、そこからは自由な時間が増えました。私は保育園の送り迎えが終わったの機に、一大決心の転職をして、仕事中心の生活へとシフトしました。そのお陰で、生活は転職と同時に安定することになるのです。
意外と簡単だった。転職しただけなのです。
私が転職だけで生活を安定させられた理由はいくつかあります。ひとつは営業職を選択することができたこと。もうひとつは家庭に入った経験がなかったので、社会への恐怖心がそこまで育たずに済んでいたことです。
最大の理由は、私が自立を目指す中で、子どもたちが自立していたことでした。私と一緒に、子どもたちも、自分たちのことは自分でやり、家事を手伝い、姉妹の面倒を見ることができる人間へと成長をしていたのです。
末っ子が小学校に入学したのを機に、我が家が生活苦から脱することができたのは、子どもたちの応援があったから。私がひとりで全てを抱えてしまっていたら、生活苦からは抜け出すことは出来なかったかもしれない。
母親が働く場合、シングルマザーに限らず、子どもを味方に付けるのが最善の策です。
それが子どもたちの自己肯定感を育てることにもなり、子どもたちは大人になり社会に出た時に、私たちが味わったような苦労を、必要としない人生を歩むことができる可能性が高くなります。
日本には、子どもに手を尽くす母親が良い母親という理想像を持つ人が多いですが、本当にそうなのでしょうか?子どもたちは純粋に、母親に何かをしてもらいたいのではなく、母親の役に立ちたいと願っている。純粋だからこそ、人間の幸福度に沿った行動を取るのです。
私たちは、誰かの役にたつことで幸福度を感じる。
子どもたちは、純粋にいつも母親の笑顔をみたいと思ってくれています。